40代主婦 新米社会福祉士の奮闘記
長男の不登校

息子が不登校になるまで

Hiro

こんにちは。

新米社会福祉士 Hiroです。

今日は、息子が不登校になるまでを簡単に時系列で綴っていこうと思います。

幼稚園入園前

私は、結婚と同時に仕事を辞め、夫の転勤に伴い大阪に引っ越しました。

初めての土地、初めての子育てに孤独を感じながらも、なんとか長女と息子の育児をこなしていました。

生まれた時から癇癪が激しく、昼夜問わず泣いてばかりだった長女とは違い、息子は基本、手のかからない子でした。

赤ちゃんの頃からムダ泣きは無かったし、言葉が出るのも歩くのも平均的で、特にこれと言って困った記憶はありません。

お母さん
お母さん

二人目は可愛いと聞くけど、本当に可愛いわ~♡♡♡

息子がちょうど3歳になる年に、再び転勤で横浜に戻ってきました。

近隣の子育てサークルや、親子リトミックなどに積極的に参加し、なるべく外と関わるよう意識してました。

相変わらず長女の癇癪は激しく、2時間ぐらい泣きっぱなしなんてこともザラで、警察に通報されたことも。

一番大変だったのは、夜驚症で、突然夜中に暴れだすので、私も息子もよく夜中に起こされた記憶があります。

息子がちょうど3歳になる頃に、次女を妊娠。

出産に向けて、その頃から近所の一時保育に預け、徐々に回数を増やし、最終的には週3回通ってました。

そこでも、特に問題はなく、むしろ先生からは「しっかりしている」とお褒めの言葉を頂くほどでした。

幼稚園時代

幼稚園は年少から入園し、毎日楽しく通っていました。

長女とは別の園で、外遊びが多く、自由な雰囲気の園で、活発な息子には合っていたのだと思います。

戦隊もののTVをよく観て、園ではお友達と、家では妹と戦いごっこをするのが好きでした。

年中から園でサッカーを習い始めた長男は、すっかりサッカー少年となり「キャプテン翼」に大ハマり。

ちょうど同い年にサッカー少年が多く、園でも公園でもサッカー。

選手コースに上がるために、ひたむきにボールを追っていた息子の姿が、今でも目に焼き付いてます。

息子
息子

サッカー大好き!幼稚園大好き!お友だち大好き!

他にも園でプールを習い始め、こちらも順調に級が上がっていきました。

サッカーもプールも息子からやりたい!と言い出したもので、親があれこれ言った記憶はありません。

ただ、年長の夏頃に念願の選手コースに上がったため、練習日が増え、週4日は園が終わってそのまま習い事という、時には、小学生の長女より帰宅が遅くなる日もありました。

大丈夫かな?と多少の心配はありましたが、体の大きい息子は体力もあり、よく食べ、よく動き、よく寝るという、忙しいながらも規則正しい生活だったと思います。

幼稚園でも、これといった問題はなく、リーダーシップがあり、クラスの中心的な存在の彼は、女子からモテてました(笑)

気になる点があるとすれば、、、この頃から負けず嫌いで、サッカーやドッジボールなどのゲームでルールに厳しく、友達と揉めることが度々ありました。

ただ、手が出てしまうということはなく、言い合いになることがほとんどでした。

実際に園から貰うあゆみにも「時折、口調が強くなってしまうことがあるので、優しく伝えられるようになりましょう」と書かれていました。

これが、後に自閉症スペクトラム症と言われる所以になるのですが、、、

これについては、また別記事でお伝えしようと思います。

小学校1~2年

入学当初は特に嫌がることもなく、長女と一緒に、登校班で元気に学校へ通っていました。

GW明けに開催される運動会では、低学年のリレー選手に選ばれたりと、幼稚園時代と同じくしっかり者でリーダー的存在の息子でした。

しかし、夏休み明けぐらいから、時折、「学校に行きたくない」ということがありました。

理由を聞くと、クラスに数名やんちゃな生徒がいて、学級崩壊気味だと言うのです。

真面目で曲がったことが嫌いな息子は「どうして、きちんと授業を受けられないんだ?あの子たちのママは何をしているんだ?」というようなことをぼやいていました。

そのやんちゃな生徒たちの中には、すぐに手が出てしまう子がいたり、授業中に歩き回ってしまったり、担任もかなり手を焼いていたようです。

補助の先生が入ったり、時にはそのやんちゃな生徒のお母さんたちが授業を見守り、我が子が悪さしないよう監視?しているという話も聞きました。

児童専任の先生と数回面談をして、息子の気持ちを聞いてもらい、なだめすかしながら、学校に通ってました。

お母さん
お母さん

お母さんも学校キライだったけど、頑張って行ってたよ!

当時の私には、学校を休ませるという選択肢はなく、少しぐらい嫌でも学校は行くもの!という昭和の価値観しかありませんでした。

こうして、何とか一年生を終えた息子ですが、二年生はクラスの雰囲気も良かったせいか、「学校に行きたくない」ということはなく、毎日元気に通ってました。

成績も良く、先生からの信頼も厚い息子に、私は特に心配していませんでした。

むしろ長女の方が扱いにくく、対応に苦慮していました。

が、三年生に上がるころには家で手がつけられないほど、暴れる息子に変身してしまうのでした、、、

ABOUT ME
Hiro
Hiro
社会福祉士 / 介護予防プランナー
関東在住の40代、新米社会福祉士ーHiroです。不登校の子どもを抱えながら、40代で一念発起して社会福祉士を取得。地域包括支援センターで介護予防プランナーとして働いてます。いずれは、SSW(スクールソーシャルワーカー)として、悩める子どもたちや保護者に寄り添い、みなさんのお力になりたいと思っています。
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